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                                                      2011.11.1~
 2011/11/15 (火)
 昨日購入した私としては初めての電子書籍。
 
 田中伊佐資さんと山本博道さんの『ジャズ オーディオ探検隊』

 我が家の訪問記事もあり、例の調子で爽快な言い放題。

 是非読んで見てください。 P1508立ち読み版(無料)もあります。

 
 

商品の説明

鋭い視点とやさしいオーディオ評論で定評のある田中伊佐資と、オーディオ写真家の〝巨匠〟

こと山本博道。この二人がパーソナリティとなり、2003年11月から2006年8月まで2年6カ月に渡

って放送された伝説のオーディオ番組が「PCMオーディオ探検隊」です。

この番組は月刊「STEREO」(音楽之友社)にも放送と同時に連載され、当時大変話題になりまし

た。終了から5年、その伝説企画が『ジャズ・オーディオ探検隊』とタイトルを変えて待望の電子

書籍で復刻です。登場オーディオ製品57機種、登場CD・LP194タイトル(すべてカラー写真付き)

の紹介を含む、総ページ数は855。オーディオの書籍としては世界でも類をみない情報量。

放送を聴いていなくても、その場に居合わせたような気になるビジュアルも多数収録しています

(紙媒体での販売はありません)。

*内容の一部は「立ち読み版」(無料)でご覧いただけます。必ず「立ち読み版」で、お持ちのデ

バイス/アプリで閲覧可能であることをご確認の上、ご購入ください。ご購入後の返品はお受け

できません。

 

2011/11/14 (月)
 昨日の我が家へのオーディオ訪問。

 ジローさん、マイクキタさん、長江さんお三方はそれぞれオーディオの大ベテラン。

 楽しく音楽聴き楽しく飲み楽しく談話。

 これが私のオーディオの聞かせ方。

 仔細はコウジローの不定期日記を覗いてください。
 
 
 
 
 
 
 
 お付き合いに疲れたジャン、ピンキー、ロイ
 
 

 2011/11/13 (日)
 「続音響道中膝栗毛」の面白いところをもう少し転記

 プロフェッショナルという人と物

 ウェスターンの五五五型から英国ウエスターンの二〇八〇及二〇九〇型へと馴染んで、

劇場用スピーカーに属懇惚れ込んでいる。

 ステージ用であるからにはコンパクトにしてリスニング・ルームのソファやラック、洋酒のボ

トルにマッチさせて売ろうなどとは毛頭思ってはいない。サウンド・スクリーンの陰に蹲り、

埃に塗されて慟くのであるから音を出すことにしか考慮はしてない。従って厖大なバッフルやエ

クスポーネンシャル・ホーンを必要とすることも厭わない。

 真空管の、それもクラスA動作という制約から、二〇Wといえば超人出力、劇場によっては三

Wという驚くほどの小出力のアンプによって、客の気嫌を伺おうというのであるから、血の出る

ような努力を製作に傾注したのである。

 トランスデューサーとして、大きさ、価格、体裁など一切関りなく開発したメカニズムとして

の大きな魅力がある。

一00W以上のアンプが流行している昨今、斯様なスピーカーの効能書など一笑に付されてし

まうだろうが、交際ったことのない人には解らない。劇場用スピーカーは大出力でドライブしな

いと真価が現れないと思われがちだが、大きな誤解である。小さな音量でも音の拡がりが抜群

で、打てば響くという形容がその儘の動作をするものでないと困る。

 たとえば歌舞伎の舞台に於ける名優の、能に於ける老成熟達しか為手の、あの静止の姿勢

に於て、既に観衆に固唾を呑ませるほどの芸の迫力があるように、燻し銀のような底光りを感

じさせる。

 饒舌でも寡黙でもない。科白(せりふ)を吐けば歯切れがよい、しかし矢鱈にはしゃべらない。

 名妓は華美な安手の衣裳を纏って客席に侍らない。挙措が地味で、媚びないから駆け出しの

遊客は遠ざかる。そんな佇まいに似ている。名妓は料亭で、名画は劇場で観て感激しているう

ちは泰平である。ステージ・スピーカーの音も入場料を払っているうちは安穏であるが、通いつ

めて別離の哀しさが昂じてくると一大事と成る。情熱と金が尻をつついて座右に置きたくなるの

が凡夫である。

 さて市販される由もなかった寡ってのステージ用スピーカーを家庭用にすべく中古品が買い漁

られる。価格を槍先に据えて引きずり上げてしまう。高く評価された上に、製造中止ともなれば

稀少価値となり鵜の目鷹の目で探し当て、売る輩が増えてくる。流通経路が拓けて有福な者に

はな構な話だがバカ値になるには困り果てる。もっと憂慮に堪えないことは偽物の台頭である。

真物を見たことのない人が名柄にのみ眩惑されて手を出すのには呆れ返る。

 一流の名妓を落籍(ひか)せて茅屋(ぼうおく)に招じ煎餅蒲団に坐らせるのに似て、器も整え

ず遇する術も弁えずに一流のものに手を出すことは止めた方がよい。生兵法は大怪我のもと

である。

 技術革新を謳っているのだから稀には優れたものがあるのかも知れないが、細心の注意が必

要である。

 いまは性能向上とかいって耳の感度を劣化させ、電力消費を奨め、愛好者の層を拡げられる

だけ拡げ、その高さを低く押しなべているらしい。

 骨董屋が繁昌して、老骨がこうして御託を並べて生きていられるのも技術の進歩が退歩にも

似て、いねば砂上楼閣の繰返しを続けてくれる余沢でもある。

 断っておくがウェスタンのスピーカーを云々しているのは例に採ったまでで、私はプロ用の機

器、全部のことを話しているのである。

 プロ用と称しながら玩具同然のものが如何に蔓延していることか、玩具は子供のもちあそびも

のを指しているのに、近頃は大人が臆面もなく使う。オトナのオモチャとは何やら怪しげなもの

を連想してしまうが、それは精神的にも肉体的にも異常な青瓢箪の、止むに止まれぬ欲求を満

たすためのもので、その辺り何処か、いい加減な音響の機器に相通ずるものがある。

  「売る奴がいるから買うのだ。」は卑劣である。「買う奴がいるから売るのだ。」を知らぬ自己

の意識の稀薄さを明け出しいる。売りつける方は生活がかかっているから命までもとりかねない

構えである。身構えをしないで買う方に罪がある。防衛本能のない人が沢山いるから困る。猪突

猛進は慎しむ処である。

 取引する商人が巨利を得ていながら技術家が優遇されないから怪しげな骨董品がぼっこする。

 長時間使われたうえに放置されたものだから完全なもののある筈がない。修理しなければ役に

たたないのは発掘された土器や、古文書とは訳が違う。

 目玉の飛び出るほどの値段で疵物を手に入れて、いざ直す段になるといい加減なアルバイト

学生に僅かな金でやらせるのは如何なる訳か。いい加減でも直ぐ音が出るし、それでお終いで

ある。

 名器も大半は、見る目、聞く耳のない人に買われ、膏薬を貼られ応急手当のまま、使われ、老

醜を晒して哀れである。名器(名妓)も齢には勝てず、持主(旦那)にやがては愛想尽かしをされ

るのである。

 名人(職人)も名器ととも消えて行く運命に置かれるのだろう。

長い年月仕事に励んで、それに耐えて来られたものであるからこそプロ用というので、短時日

に泡末のうに消え失せて行くものではない。

 ディレッタンティズムの昂じた揚句にプロ用に手を染めると、凝れば凝るほど測り知れぬ苦し

みがあることを覚悟しなければならぬ。

 プロとは厳しい試練に耐えぬいたものの称号であって、ディレッタントが憧れるようなそんな

生易しいものの称号ではない。狎(な)れ狎れしく使ってもらいたくない。


 今様すてれを大名(一九七六)
     ステレオ・ステレオ四十二号

『昔の殿様のような、こんな形の人が未だに居られます。昔あったことのように筆を執

   ってみました。』

 あるところに電気で動く蓄音器が大そうお好きな大名がおられました。

 どこの殿さまもそうであるように、腰元どもに戯れることが殊のほかお好きだったのですが、

奥方の嫉妬が手に負えないのと、それにお齢の為か、若いときほどの何やらのお力が失せられ、

いまでは蓄音器を聞くのが何よりのお楽しみになられた様子でございます。

 腰元をつぎつぎと身近かに侍らせては、お飽きになるとすぐに暇を出す癖がいまだになおら

ず、この道でもあれやこれやと名高い器械を手に入れては、すぐに飽きてまた次ぎの新しいもの

に手をお出しになります。
                              
 新しい機械の音にお飽きになると、ご気嫌が斜めになり、お側衆に当り散らしては、すてれ

を屋に足をお運びになるのですが、そのときの騒ぎと申したららお目にかけたいようでございます。

 すてれを屋という商入にとりましてはこの上もない、それはそれは有難いお方ですから、番頭

は蟇蛙のように這い蹲って、いままでのものはまるで塵芥のように見下し、新たにお目見え

した値のはる器械を、丁稚どもを指図して、とっかえひっかえお耳に達し、ご気嫌をとり結びます。

 殿さまはもう誰でも手にできるものには目もくれず、南蛮渡来の、それも目の飛びでるほどの

ものしかお買い上げになりませんから、復候(またぞろ)御意に召したものはそのような品でご

ざいました。

 番頭のありったけのお世辞を後にして、それ以上そっくり返れば後に倒れてしまいそうなほど

威張りちらしてご帰館になりました。

 早速ご自分より禄高の低いお仲間を招じて宴を催されますが、如何なる訳かご自分より禄高の

高い方はお招きになりません。

 新しい機械を誉めるものがいれば、愛い奴と喜ばれ、誉めぬものは済われぬ輩と蔑まれ、ど

の途こうした面々に聞かせるためにお求めになったので、お一人で音楽を沁みじみ味わおうなど

とは思っていらっしゃらなかったのです。

 殿さまの余り数多くない音譜(れこうど)を拝見してみると、演奏も作曲もあったものではなく、

お好みの曲などはまるでなく、ただ音が出ればそれでよろしいのです。

 高価な器械を沢山お聞きになり、目にしておられますので、音を聞き分けることは優れておら

れるようですが、音楽との邂逅(であい)がお齢を召してからなので、楽器の音だけを嬉しまれ、

較べられるのが常でした。

 太鼓の音がどうの、弦の音が美しいの、木管の音が素晴らしいなどと、お仰せになるだけで、

曲をお選びになる段ではございません。
                                           
 お招きに預りましたものの中で、幾らかでも音楽を嗜むものかおりまして、佛蘭西はどびゅ

しいだの、らべるなどという方の作りました曲などを持ち込んで聞こうものなら、中座されるか、

腰元の品定めか、悪いお仲間に誘われて通った廓の話などを持ちだし、語を解(はぐ)らかせて、

音楽のことは上の空になってしまいます。
                        
 我国ではもはや知らぬ者はないほど持て囃(はや)されておりますあのべえとうべんの作りま

した五番目の交響曲、それどころか襖太利はしゅとらうすとかいう方の円舞曲でさえ、おそらく

一曲を通してお聞きになろうとはなさいません。

 まあ他のお遊びを沢山もっておられますからご無理もありませんが、買って頂いた銘器こそ可

哀そうなもので、秋の風鈴のように一所懸命で鳴っても、解っては頂けないのです。

 ゆくゆくは腰元同様お祓い箱になってしまうのでございましょう。

 私どものようにひとたび手に入れたからには、骨までしゃぶろうという卑しいことはなさいま

せん。ただ一途にそのものを手に入れたという仕儀だけで、ご満足になさっておられるので、可

愛がろうなどとはなさいません。

 奥方は奥方で、腰元を追い廻すご乱行よりはまだしものことと、お諦めになって殿の人並みは

ずれた蓄音器狂いを、じっと堪えておられました。

 尤も奥方も殿には内緒でいろいろと身にお着けになるものにお凝りになって、恰度殿さまが

すてれを屋にお出向きになった折の仕儀と同じようなことを、衣裳や宝石を商う店に足を運ばれ

て、楽しんでおられるようです。

 何はともあれご夫婦とも出入の商人にとりましては、この上もない有難い方でございます。

 そう申せば、今日は今日とて何かお部屋に大きな器械が運び込まれ、われかえるような音で

音譜を聞きながら品定めをなさっているご様子です。

 それからこれは本当に内緒のことでございますが、あなただけにお話しを致しましょう。殿の

お耳に入ると大変な騒動になりますし、わたくし奴が打首になるような仕儀になりかねないこと

ですから他人さまにはお洩らしにならないで下さいまし。

 このお館は悪賢い三太夫かおりまして、なんのかのと殿に取り入って御意に叶うように謀っ

ております。

 殿がすてれをに凝りになっていることをよいこととして、本などを繙(ひもと)いて俄かに知恵を

つけ、これもよからぬ電気に巧みな者を近づけて、古きよい機械などが売り出されますと、逸早

く馳せ参じ手に入れて繕わせ、殿に買わせるよう謀らうのでございます。こうして商人に金子を

下げ渡すときに値切って幾何かの賄を懐に致すのです。当節で申さば生活の智恵とか申すの

でしょう。

 兎に角音さえ出ればよろしいのですから外面だけは元通りに塗りたくってありますが、中身は

見るに忍びないものが殿の居間に運び込まれるのでございます。

 妙な音をお聞きになって俯に落ちないご様子ですが、そこにはお育ちは争えぬもの、「うんよ

い音である、流石は銘器だけあるのう」と仰せになっておられます。

 銘器は銘器であったのですが、なにせ散々使われた揚句、いい加減な直し方を致したもので

すから間に聞くに酎えないものでございます。

 私も偶々(たまたま)、殿のお召しに預り聞かされる栄誉に浴しますが、その銘器を拝見します

とき、奉公に出した我子の掌の皸(あかぎれ)を見た折のように、不愍で、救われがたい気持ち

に相なり、怒りさえ覚えます。

 なんとか元通りに直してやりたいと思う一心でございます。けれど、それでも殿さまは満足な

さっていますし、三太夫もしたり顔をしているからには余計なことはいわぬことと口を噤んで退

散致して参ります。

 君子危きに近寄らず、という校い諺が、これほど身に沁みるときはございません。

 殿は殿で、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやと思召しておられるかも知れません。とは申せ諺な

どというものは自分の都合次第に用いて効果のあるものとみえます。

 私どもが捻子の顔が傷んでいるの、塗りの悪いのとほざいているに至りましては、殿のお側に

近く侍る資格など、ないものと存じます。

 音は聊かでも変って珍かなければよし、高価なるものが慾しいと仰せになる殿のお胸の中は

如何なものでございましょう。

 殿には金子さえ出せばどんなものでも手に入りますから、それ故にこそ愛することができず、

忽ち飽きてしまわれる不幸が隣り合わせていらっしゃるのです。

 本当の価値が解るまで愛しきれず、放浪なさって行くのです。有り余る金子の為でございまし

ょう。下司の勘繰りとお嗤い下さい。

 殿のお飽きになったものを三太夫を説き伏せて、廉く叩いて買い求め我が意を得る人もありま

すことは余儀ないことと存じます。

 そうかと思うとこんなどうでもよいことを筆にして読んで頂いている私もおります。
                            
 如何でもよいと申せばすてれをの音などはそんなもの、それを大事なものと喜怒哀楽に結びつ

けておりますのも雅びとか申すもの。
 


 
 
 2011/11/13 (日)
 昨日のオーディオ.
 修理が終わりそのままほっらかしにしていたJBL SG520を繋げる。

 それにしてもPCM放送終了後のミュージックバードの音は酷くなった。
 
 
 
 

 2011/11/12 (土)
 今日もよこすか芸術劇場

 よこすか能 観世喜正プロデュース 蝋燭能「鉢木」を鑑賞

 能は何回か観たが浅学の私には楽しめなかった

 今回は観世喜正のプロデュースが素晴らしく和泉流 狂言による「彦市ばなし」
 観世流 蝋燭能「鉢木」と大劇場での狂言及び能を堪能できた。
 
 
 
 
 


 2011/11/11 (金)
 早いもので関西獄道音響膝栗毛を旅して約1週間になる。
 HALさん邸訪問時本棚に恩師伊藤喜多男さんの「音響道中膝栗毛」を発見。
 今回の旅行の題を思いついた。

 昨日から「続音響道中膝栗毛」を読み返してその中から少し紹介する。
 
誠文堂新光社 発行
 獄道と開眼
            
関西ではよくごくどうという訓をつかう。古語辞典には「獄道・極道」①悪事をする者、遊

楽に耽る者をののしる語、②人をののしる語、と説明してあるが道楽という詞より私はどぎつく

て好きである。

 現代は趣味だの、ホビーだのと、いやに取りつくろって自分を高尚な形にみせかけているが、

卸何にも理知が邪魔をして、属懇楽しめないという風な態度がみえて気にくわない。

  「幇間揚げての上の幇間」という川柳がある。道楽の極をつくして遊んだからこそ、客の喜

びようを知り、快く遊ばせる術を心得た上の、それを生業としている末路のことである。

 幇間に取囲まれた経験からそうした雪囲気を作ることに妙を得たのである。理性でも利欲でも

ない。二次的な利欲の存在は許されるが、道楽である以上「趣味と実益」などという愚劣な語で

表現されるような態は末路としては納得できるが、その時点では意識していない。しかし「芸が
                 
身を助けるほどの不幸」と嘆息したり、ふて腐ったりの開き直りは末路の啖呵としては納得で

きる 。

 幇間になることを目標として遊蕩に耽るということはあり得ないし、その時点で自分の末路を

予測するほど人間は賢くはない筈だし、若し賢かったら、そんな遊びはしないだろう。

 よい音を作るにはよい音を貪欲に聴くことである。

 音に耽溺してこそよい音の価値が理解できるので、僅かな投資ではこの崇高な音の醍醐味

など解る訳はない。

  一流の音響機械を製造している会社には超一流のその道の技術者が研究開発の部門に数え

切れぬほど席を占めているが、社長を筆頭としてその中の何人が音の判定に関して如何なる経験

を持っているかは疑問である。

 電気的測定は然るべき学課を経て、精密な測定器が座右にあれば感性の不足している人間でも

できるし、数学は当節電子計算機などという横着なものがあるから指先の技術さえあればできる。

 音の判別は技術ではなく感覚に訴えるものである。如何なる美号館句を並べても表現できない

から快い音という自分にしか理解できない詞で、押し通す以外はない。音響評論家という人達は

 「粒立ち」「ぬけ」「堅い・柔い」「繊細・豊饒」などという抽象的な表現に頼る他はないが、そ

れさえ甚だ曖昧なものである。


 音源の追求
 大部分のステレオ装置というものは狭い部屋に適合するようにできていて、盛夏には禅一つで、

厳冬には丹前を重ね着してオーケストラが聞かれる仕組みである。タキシードを着用しなくても

コンサート・ホールに行けるのである。

 録音方式もそうした条件を目的として技術を傾注しているが、ある程度劇場(演奏会場)的音

響効果が具わっている部屋で、前述したような条件のディスクを聞くと、同じ効果が重畳して収

拾し難いものになってしまう。曽っての四チャンネル方式がそのよい例である。

 况して再生系統にそんな電気回路を施されたらエコーの混乱に陥りそれにこそ音の祭典を現出

してしまう。

 近頃SPの電気代込のレコーードを度々聴くことがあるが、これを劇場用のシステムで再生する

と素晴らしい効果があるのに気がついた。

 その当時の録音は技術的に修飾がないから、というよりできなかったから洵に純粋で、殊にボ

ーカルに至っては迫力が抜群であり歌手の喉の奥まで見えそうなはど鮮明である。

 人の声には物凄い個性があって、かなり複雑であるから歌手の声色を聞くと録音技術に凝って

妙な抹つけがしてないだけに再生した場合に白黒がはっきりする。

 さてこの場合のスピーカーが問題であるのに殆どの家庭用スピーカーの存在価値は甚だ稀薄に

なってしまう。

 現在録音され発売されているLPレコフードを、あの古いSPレコードのような迫力のある音に

して広い部屋で聞くには大変な努力を払わなければならない。新しい研究課題ができたと私は快

く思うし、一つの壁を突き破る楽しみができた。矢鱈に古いシステムを尊ぶのではない。もう少

しブリリアントな音が聞きたくなったのである。

劇場用のスピーカーを人手するとこんな病にとりつかれるのだが獄道としては致し方があるまい。

 劇場用の装置を家庭に持ち込んで聞く愚かさを嗤う人がいるだろう。「劇場へ行けばよい」と

思われるだろうが、自分の好きなものは演じてくれず、「おしきせ」を聞くに過ぎず、況して現

今の我国の劇場設備に幾つ満足させてくれるものがあるか、心細い限りである。もしあれば残存

しているといった方がよいくらい期待が持てない。

 字にならない音
 どんな美辞を用いても複雑微妙な音の表現のできないことは前にも述べた。繊細緻密・量感柔

軟・鈍重光沢などと風景描写以上に難かしい音の響を文字で表わすのであるが、ここに一つのス

ケールを持ち出す方法がある。A社のX型の音はB社のY型にくらべて云云という式である。も

し比較する型が明示できない時は自分が最も好んでやまない機種と較べて批判、評価するのであ

る。決して生演奏と対応していないから各人が異なった基準を持っている。

 最も親しい筈の親兄弟でさえ同じ環境にはいない。従って同じ感覚であるとも憶えない。まし

て他人である以上大きな差違がある。

 余談であるが近頃不快指数という単位が天候に関して用いられているが、音に関しては未だこ

の不快指数がない。是否早く定めてもらいたいほど不思議な音が巷に氾濫している。

 低城が不足、高城が伸びている、中城がどうもひっこんでいる、など聴覚が人並みならば誰に

でも判定できるし、音域など判断以前のことである。

 測定器が判断できないところを判別するのが耳であり、この音は快いと感じたのが、その人の

歎喜であり愉悦である。それは決して他人に強いるものではない。

 一つの音を関いて二人が顔を見合わせて微笑を交したら、それで結構だが音に関して同一の感

覚を持っている友人は稀なものだ。しかしこの音が解るか、という至極単純な感動には、この良

さが理解できるまでには随分金を使ったろう、という憐憫の情も合まれていないこともない。 


劇場と家庭の音
 劇場の音は家庭で聞くとは較ぶべくもないほどの広い空間に響かせなくてはならない。聞く側

は入場料を払い、その上入場税までも払って鑑賞するのである。「新発売、当社のステレオ装置

試聴会に御招待、粗景呈上」とはわけが違う。

 とにかく金を払ったからには聞く方は必死であり、金を取ったからには聞かせる方も真剣であ

る。スクリーンに画が映るおまけがあるものでも私達には音の方が大切である。

 一九三〇年頃の話で恐縮であるが、ウェスターンの再生装置を確認して入場した劇場で、映画

が終ると休憩時間にかけてくれるレコードの再生音が興昧津々だったのである。

 ステージのスクリーン裏に装備されたWE五五五型レシーバーとホーンから出るその音は、最

早私に帰宅して自作のシステムを聞く意欲を完全に喪失させてしまった。

 英国フェランティのスピーカーとトランス、そしてマルコニーのピックアッフで組み上げた私

の装置も顔色はなく、よい音を出すには生やさしい金では駄目だ、という諦めとも悲憤ともつか

ぬ、初恋の失恋でなく分別盛りのそれに似たものを味合わされた。

 相当のパワーを出して、ある距離をおいて、適当な拡がりを与えてから聞く装置、殊にスピー

カーは別格のものであることを改めて認識させられた。

 殆どのスピーカーはステージ上に取付けて見ると如何にパワーを与えても蚊の鴫くような音に

なってしまう。それに観客が増えるほど惨めな音になり、10W程度で1〇〇〇人という聴衆を

賄えるものではない。それをウエスターンは完全にやってのけているのである。スピーカーが絶

品であり他社が足許へも寄れなかったのである。

 家庭内でバランスのとれた音のスピーカーもステージに置くと、それを何十個並べた処で客席

に届くまでには痩せ細ってしまうのはアンプの出力とは裏腹に、スピーカーの効率以外に頼ると

ころはない。これの効率の悪さは画面にクローズアップされた大砲が煙を吐くと同時に耳をつん

ざく砲声を期待していると、宛ら遠雷を聴くが如しの音になって、哀しくなるのである。

 音はステージから客席に訴えるものである。シネラマやシネマスコープのような大画面に応じ

た効果音のための客席周囲の壁面につけたスピーカーの存在は認めるが、基本はメイン・ステー

ジ用である。大きなホールで四チャンネルを試聴する催が増えてきたが昏迷の世界への勧誘であ

る。


 
 
 劇場用スピーカーの厳しさ
劇場用のスピーカーは不特定多数の人の耳に届いて楽しませるパワーを必要とするためタフな

ものだと想われるだろうが大きな誤りである。極度のセンシティビティーを要求され、秋の野に

すだく虫の音から戦場に作製する砲煙弾雨の音まで再現しなくてはならないほどのダイナミック

・レンジを要求される。

 聞こえないからと客は耳をそばだててはくれないし、大半の人は敏感な耳を持だないにしろ直

接膚に触れて持ち帰る人なのである。

  「お宅の音は素敵ですなあ」などと御馳走になった鰻重の手前褒めて帰る訪問者はそこには

一人もいないのである。大衆は者に対して愚鈍であると思ったら大間違い、却って耳のよい人が

いるのは妙なステレオを聞かないからであろう。

 興味のない方には迷惑だろうがアンプを含めてウェストレックス(ウェスターン・エレクトリ

ック) のシステムに就いては別項で述べさせて頂くが、他社のシステムを採り上げないのは熟知

していないことをつけ焼刃万で書いて馬脚を露すのを怖れての身を守るためである。目にも触れ

ず、膚にも接しないシステムに就いて記すほどの度胸は私には待ち合わせていないからご容赦

願いたい。


 芸が稼ぎになるとき
   これから私が書きますことは、賢いおくさんにも見せてあげてください。

   賢くないおくさんには、みせないでください。

   くすっと笑窪をつくるひとと、ばかにするにもはどがあると、柳眉を逆立てるのとの二通

   りありますから。

 かみさんだの奥さんというものは亭主にとって欠くことのできない存在であるように振舞って

います。ステレオ装置なんていうものは家族にとって何の役にもたたないどころか、多くの場合、

亭主以外の家族全員から嫌われているものです。

 この欠くことのできないひとと、なくてもよい機械が問題なのです。この機械が極めて廉いも

のの場合は、さしたる問題は起きませんが、主が音を大切にするひとだと、ことが重大になり

ます。つまりこの本を読むような人だと、です。

「うちでもステレオを買いましょう」か、「あなたのうちにステレオあるの」という風に、自分の伴

侶か、伴侶にこれからなるであろうところの異性から要請されて、弾みで購ったような劣悪な

ものにはここでは触れません。

 初めて手にする嫁さんはことによるとトレーニング次第で如何ようにもなりますが、ステレオ

の装置の粗悪品はどうにもなりません。

 ディレッタントと自認する人でしたら、慾しくてたまらず、やっと手に入れた高価な装置を、

電気アイロンのスイッチを入れるのがやっとという人種にさわらせるでしょうか。

 折角買い集めた貴重なディスクにスクラッチをつけられたら憤怒のやり場がなくなるでしょう。

こんな主人は得てして帰宅するなり装置の前に立って誰かが弄ったことに、まるで現場検証に

立ち合う刑事のように気づくのです。それが埃を彿ってくれた善意なのに、あたかも悪意によ

って為されたように、渋面をつくるならば未だしも、口にまで出すのです。

 家族全員から嫌悪されるのも無理からぬことです。

 ディスクを聞きだしたが最後、ものに取り憑かれたように無口になる亭主をみれば、その装置

の存在は、莫大な費用が嵩むものだけに、憎みても余りあるものとして、世の奥様がたは嫉妬

の一途で呪うことでしょう。

 しかし世にいう良妻(賢母は別)型の奥さんでしたら、ここで一思案あって然るべきとおもい

ます。

 いま主人からこの道楽をとり上げると、他の径しからぬ遊びに情熱を傾けてしまうが、ステレ

オならばあの怖るべき外泊をしないで一途に帰宅してくれる、という妥協を見出して我慢するこ

とです。

 音楽を聞いてエクスタシーに浸れるような頭の構造の男なら、その胸に秘める情熱は相当な

ものですから、そんな人から音を奪ったら大へん悲しむべき結果を招くことになります。

 趣味によって培われた夫の憎むべき性癖を憎み得ないものとして黙認するまでに成長すれ

ば安穏無事と相成るのです。妻がここまでになるには夫が妻にさんざん苫痛を味あわせた上、

諦めさせるに立ち至らしめるほど、音に執念を持ち続けたからです。一方妻の怨念を、かなり

高度な技巧によって、抑制するための努力をしたに違いありません。

 どっち道、これらの経済的負担は夫自身が負うのですから男は辛いものであります。

 購ってきたカートリブンの価格は半分ぐらいに、妻に止むを得ず買う宝石の値は倍ぐらいにい

う軽犯罪は、この道に溺れた亭士ならば良心の呵責の一かけらもなく、やり逐せるのが常です。

 上手に嘘をつきあって笑いながら暮せる夫婦は幸せというもの、下手に真実を供述して憎しみ

呪いあう夫婦よりは生活の智恵に長けている人たちです。

 音が好きになったらば夫婦は孤と狸になって一生化かし合うのも面白いではありませんか。

 妻が化かされていると知りながら恍とぼけられる度量をもつと、夫はその負担を感じ、良心の

呵責の未、何かの形で感謝の意を表し、結論は幸福になれるものです。

 夫の弱点を常に把握していた方が、単純な自衛手段を無作為のうちに夫にもたせます。

まことにめでたき限りです。


 落語「酢豆腐」と「寝床」
 鼻持ちならない所謂ゆる通人という奴は何処の世界にもいるものだ。多くの人だちからは甚

だしく毛嫌いされる一方、「彼奴を煽てて話をさせればご馳走にありついて小使いがもらえる」と

いう訳で、よからぬ輩にとりまかれ悦に入っているような被害者意識のまるで無い人間である。

  「ウエスターンの音というのを聞いたことがないんですが」と口を滑らしたが最後、「きみた

ちにこんな音と、いったところでわかる筈はないから、俺んとこへ来いよ」と誘ってくれること請合、

こうした顛末で、その通人の家に屯ろに及ぶのである。

 この通人声をあらためて
        
  「いまはむかし米利堅国(めりけんこく)のうえすたんと謂(い)えるてれがらふの匠の調

(ととの)えし器(うつわ)ありけり。
 この器、恵歴(えれき)の力もて音を摂り出し、彌増(いやまし)しに広げ広げてはらいその奏

で給う音も斯くやと覚えるほど、妙なる響を聞かせければ万民競り集いて耳を傾けり。

なかんづく音譜と称ける円板(まろきいた)に現をぬかす輩、殊のほかその響に親しみ、

その音を慕いてこの器を賞(め)で、灼然(いやちこ)に繁り栄えて後の世まで在らんことを冀

(こいねが)いけり。」と難しいことを宣(のたまわ)って、故事来歴を取り巻き連中に聞かせる。

今様の音に順らされている連中、世にも不思議な音を聞かされて、俯に落ちぬ顔を見合わせて、

これも一つの修行と我慢して退散に及ぶ。

  「苦い者も、これで少しはウェスターンの音が解ったろう。いまどきの音とは較べものにはな

らないんだ」と通人は顎を撫でていたが、聞かされた連中は外に出た途端、胸を撫でおろし、

 「あんなのを、いい音っていうのかね」とぼやくのである。

 罪な話で、実は双方とも解ってはいないのである。

 只管(ひたすら)にウェスターンがよいという信念で片端から買い漁り、手に入れば飾りたて、

故障とみれば忽ちアルバイト学生を動員して安直に修理させ、とにかく音を出させてしまう始末

である。

 回路図がなくても直させてしまう恐ろしさで、元ウェスターン現国際パーツ・ショウ的代物で

音を出すのである。外観はロールス・ロイスだがボンネットを開けてみるとエンジンは似ても似

つかぬ代物、走るのが不思議なくらいである。

 少なくとも二十年以上、連日十時間酷使されていた機械が、或る日或る事情で取脱され、何ら

かの方法で好事家がこれを用いるのであるから、幾ら優秀なものでも傷んでいない筈はない。

 銘器を復元するためには相当の技術が要求されることを安にして直なる方法を用い、この通

人が直させてしまうに至ってはウエスターンも哀れをとどめてしまう。

  「これがウェスターンの音でげす」とばかり腐った豆腐を鼻をつまんで飲み込む「酢豆腐」型

の通人の如何に多いことか。聞かされる方は、なるべく前に臥せていれば旦那の義太夫が頭

の上を掠めて直かに当らず、幾分でも肋かると、ご馳走がでるのをせめてもの慰めとばかり耐

えぬく「寝床」型被害者、何れにしても罪な話である。

亡くなった名人柱文楽師匠演ずる落語を地で行くようなことが、この世界でも罷り通っている

のだから、「面白うてやがて哀しき鵜舟かな」である。


 2011/11/10 (木)
 今日は午後の仕事を終えてからよこすか芸術劇場へ直行。

 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団/デイビッド・ジンマン指揮/ヨーヨー・マ(チェロ)で
 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調とブラームス:交響曲 第2番 ニ長調を聴いた。
 素晴らしい演奏で聴きに来た甲斐があった。

 不純にもまたオーディオの事を考えてしまった。
 クラッシックの再生は私には無理だ。
 
 
 
 
 
 
 


 
 2011/11/9 (水)
 今日のライヴ
 横須賀KALIKAにて
 力武 誠(ds)、吉木 稔(b)、原川誠司 (ts)、三好千江子(pf)Ouartet
 +NATUKO(vo)を聴く
 凄く熱い演奏でビールを4本も空けた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 2011/11/07 (月)
 今回の関西獄道音響道中膝栗毛でご一緒した金谷さんのゲストブックへの書き込み。
 早速調べると出てきた。
 
 ≫高校生の頃に、「オーディオ・アクセサリー」誌に2回ほど投稿が載ったというお話を
しましたが、調査の結果、第28号(1983年)の「リーダースノート」P381に載っていたこと
が判明しました。(その他は捜せませんでした。)
創刊号から全て揃えておられるとのことでしたので、ものすごーくお暇な時がございまし
たら、ご確認ください。
当時はアナログの全盛期。表紙にナカミチのDRAGON、砲金やセラミック製などのターン
テーブルがあたりまえのように掲載されていて、紙面をめくっていてとても懐かしくなりました。≪

この時(1988年)の情熱がいまだに続いているとは驚きと感激。

 
 
 


 
 2011/11/06 (日)
 11月3日~5日の3日間、関西獄道音響道中膝栗毛をステレオ誌田中伊佐資さんと
 カメラマンの高橋慎一さんの3人で 西宮パラゴンおたくさんのアレンジで楽しむ。

 3日の出発時いきなりのアクシデントが発生。
 田中さんと品川駅改札口で待ち合わせ、いくら待っても現れない。
 北口と南口の2箇所があるのをその時知った。
 8時17分出発の新幹線、ホームで田中さんが高橋さんに電話をすると同じ電車。
 丁度新幹線が来たので乗り込むと既に席に他の人が座っている。
 切符を見せて声を掛けると「この後の新幹線でしょ」と。
 あわてて出口にいくともう閉まっている。田中さんが一生懸命開けようとしているのに笑い。
 次にとった行動が自由席まで移動。と途中で気がついた、新横浜で乗り換えましょうと。

 何とか乗り換えて一路新神戸へ
 
  新神戸の駅には既に前回の横須賀訪問で顔見知りの東山さんが迎えに
 粋なシトローエンC6に乗り食事会場で皆さんと合流。
 まずは腹ごしらえ。

 
 
 
 スタートのばれんチ屋邸

 今回の新企画ビデオ撮りでSTEREO誌のHPでCMを流すそう

 
 
 何とかける曲順までしっかり出来ている
 
 
 
 おお懐かしいラックス38FD
 
 
 
 
 
 真剣に聴く田中伊佐資さん、何号か後のSTEREO誌にどんな名文で紹介するのか
 
 
 
 
 
 最近帰国後新築した家に作ったオーディオルームを埋める為
殆どを音も聴かずにネットで購入したとのこと
それでこの音が出るとは苦労しているオーディオ人が可哀想

 
 もう一つの趣味
凄い2台
 
 次に向かうのは今回の発起人北野パラゴンハウスへ
 
 
 
 
 
 演奏家用に作られたマンションの1室
 
 パラゴンと抱き合って寝るそうです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 豪快且つ綿密な北野@酔っパラゴンさん
 
 関西酔っ払い軍団
 
 田中伊佐資さんを除いて皆さん飲む
 
 飲む!
 
 北野さんが調理を一人で
 
 
 
 
 
 飲む!飲む!飲む!
 
 
 
 
 
 六甲山ホテルに着いたのが10時半過ぎ
 
 夜景など観れる状態でなかったのでせめてもの朝日
 
 
 
 2日間仕事休んでの運転手に徹して頂いた東山さん
 
粋なカーマニアでその1台のシトローエンC6
 
 本日の1件目高木邸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 これまで程度の良いA-5は初めて
 
 色々な所に対策が(STEREO誌が暴きます)
 
 アルテック・ディグ・モノの粋な部屋へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 オーディオは腹が減る
 
 そして幸福の水先案内人さん邸へ
 
 部屋に入るなりニコニコの田中さん
 
 何処もかしこもミニカー、ついにはトイレまで
 
 ミニカー1台1台とオーディオ1台が同じ程度の愛着
 
 なんとデッカデコラの時代違いが2台
 
 工作部屋もこの状態
 
 JBLパラゴンも猫の被害対策
 
 タンノイアメリカも猫対策にネットが張られて
 
 ルームアコースティックなんて関係ない
これが良音の決め手と思える
 
 ハーツも美品、『ガス灯』の匂いがする
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 凄いことをさらりとお話しする
 
 夜はJAZZ CLUB「SONE」でLive
 
 
 
 
 
 神戸軍団と最後の夜
 
 余りに品が良すぎて私には合わなかった
 
 私の提案でJAZZ喫茶へ
 
 あの有名なジャズ喫茶「Jam Jam」
 
 ジャズ喫茶が残っているのも奇跡だが
 
 入店すると気持ちの良い大音量
思わずカメラのシャッターを押すと
 
マスターがバッテンサイン 
 
 会話ゾーンでまずコーヒーTime
 
 
 
 
 
マスターに声をかけるとなかなか良い感じ
 
 
 
 
 
 田中伊佐資さんが仕事モードへ、マスターと交渉
 
 名カメラマン高橋慎一さんがホテルまで機器をとりに戻り
 
 店の外での取材
 
 
 
 ということで前で堂々と撮影
 
 今日のベストアルバム
私の知らないレコードを次から次えとかける
ライヴ盤が多い。
この大きな空間ではライヴ盤が最適と思う。

さすが!
 
 翌朝は電車で行動
 
 HAL4550邸へ
 
 別電源導入のアンプ達
 
 30年以上使いこなして来たJBL4550+α
 
 ソース命のHALさん
 
 マッサージチェアはマッサージに使うわけでなく背もたれの位置でホール会場の
聴く席の雰囲気を変える為使用
 
 背もたれの位置とホールの1階前のほうか後のほうか
又2階招待席に位置まで変わるそうだ
 
 プレーヤーのマンション化
 
 
 
 
 
 古い家を実に有効に改装
 
 
 
 ここでも悶える酔っパラゴンさん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「オーディオはどうでも良いんです」と話すHALさん
 
 
 
 そしてHAL4550さんの手料理
ちなみに取材中に調理をした人は初めてとのこと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 次の訪問ごんたさん邸へ
 
 1部屋目
 
 仕事の合間の訪問なので次から次への強行試聴
 
 お金をかけずに色々な機種をとことん楽しむ強欲人
 
 
 
 7年前とほぼ変わらない風景
機種は断然増えた
 
 
 
 
 
 このまま部屋が使える最高の贅沢
 
 
 
 2部屋目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 3部屋目
 
 在邸1時間弱
 
 構築後間もないのにこれだけの音
 
 ヨハネス邸に行く途中急遽「Bun Jin Hall」
 
 素晴らしい!
ここでゆっくりリー・ワイリーを聴いて酔いたい
 
 モノ(Mono/物)に拘るオーナー宮本宏紀さんには
レコード演奏家になるよう説得
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 なんとここでも交渉して取材が始まる
 
 そして美味しいシャンパン
大阪にきたら是非寄りたいスポット
 
 そして懐かしのヨハネス邸ダークサイド
 
 クラシックを聴くにはどうしてもこの低音が必要と
 
 ヨハネスさんが再生させたRCAのプレーヤー
私のと比べると雲泥の差
 
 
 
 私にはちんぷんかんぷんのデジタル
 
 
 
 
 
 省エネ暖房
 
 
 
 ヨハネス自身が180cm近い
 
 
 
 
 
 魅力的なStuderの卓

今回の関西訪問、北野さん、HALさん、ごんたさん、ヨハネスさんその他の方たちの
お蔭で素晴らしいオーディオ三昧を過ごさせて頂きました。

横須賀訪問の時は全力で接待させていただきます。

追:田中伊佐資さんからのたった今のメールです
 ≫ところで、カメラマンの高橋さんのご実父が、神戸の2日目(11月4日)に
 亡くなっていたそうです。帰りの新幹線で聞きました。
 「これは仕事なので。ずっと危なかったのでわかっていた」
 ということでしたが、すごいプロ根性だと思いました。≪

 本当に実父の忌中を少しも感じさせない対応にプロ意思の強さを感じます。

 高橋さんに合掌
 
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