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オーディオの歴史館
AMES B. LANSING SOUND INK   Model D30085  "Hartsfield" {1955}の分解
JBLハーツフィールドのクラフツマンシップ
JBLがコンシュマー用のスピーカーメーカーとしての名声を確立するに至った原動力となった
同社初期の最高傑作のひとつ。
天才的なエンジニアのジェームス・バロー・ランシングは1945年アルテックを去り、
1946年にジェームス・B・ランシングおこした。
1947年、彼は自己の技術的成果をフルに投入したD130をつくる。
この38cmシングルコーンのドライバーは実に35Hzから3kHzまでをカバーするというかってない
広帯域ユニットであった。
このシリーズは、D131(30cm)、D130をクロスオーバー1200Hzで使用する130Aなどがあり、
音響レンズ/ホーンとその高域ドライバーなど、JBLが発表した後継モデルのどのへんまで
ランシングが手がけたはよくわからないのだが、1949年ランシングは突然自殺してしまった。
ランシングの死後、トマスが社長となり、社名をそのまま事業を継続したが,
優秀な技術者が始祖の精神をうけついだ。
なかでも主任技師であったビル・ハーツフィールドの業績は高く評価するべきであろう。
JBL創設時システムD1005(私の友人日置氏が所有)を発表して評判を呼んでいた。
50年代にはいって、JBLは”シグネチュア”という大型コーナーシステム(D31050)と、
同じ名称だが中型のレクタンギュラー・モデル(D340019)を出す。
そして1955年に、「ライフ」誌が”決定的夢のスピーカー”と絶讃して紹介した”ハーツフィールド”が
1954年出現する。
本来はプロフェッショナル用(シアター・サウンド・サプライ)として設計/開発された375ドライバーと
150−4Cウーファーを、このシステムのために新たに開発された537−509ホーン/レンズと
フロントローディングの低音ホーン型エンクロジャーに組み合わせている。
(参考・SS誌)

JAMES B. LANSING SOUND INK  Model D30085  "Hartsfield" {1955}
★Exponential horn: disigned primarily for JBL 085 theater speaker system
★ features long exponential horn path for bass response, and built-in "Koustical Lenz"
assembly for wide horizontal and narrow vertical diffusion of highs
★ height45
3/4"h×47"w×241/2d ★conetemporary woods: mahogany (dark or light finish),
birch (natural finish), korina (blonde finish); premium woods:maple, oak (light finish),
prima vera (natural finish), walnut (dark or light finish),
Model D30085 (Model C30 enclosure with 150-4C woofer, 375 driver,
H5039 horn-lens assembly(N500H crossover)
$787.50 、 Premium woods $817.50
初期型でエンクロジャーが裏まで一体型の珍しいモデル。
最近はつき板を張りなおしたハーツフィールドが多く見られます。
モノーラルの時代ですのでペアが揃う初期型は疑ったほうが良いと思います。
1964年が最終で初期型とはエンクロジャー(チップボードを多用))もユニットも違います。
このタイプの分解資料がなく困難だった 側面の穴はアッテネーター調整用 普通のは天板を外す
後期型とはエンクロジャーのセパレート部が違う 最初期のネームプレート
底面のビスを外しますこの頃は+ネジです) 後面をスライドさせます。 本体処理は結構荒いです。
375ドライバーとネットワークが見える 375
スロート径:2inc重量:14kg
クロスオーバー:500Hz

インピーダンス:16Ω
最大出力:60W/3000Hz
前回チェック時、結線を間違える
375の製造は1954年からで
永久磁石のWE594Aとも言える
ネジ穴の封印が取れていないので
オリジナルの振動板が
使われていると思われる
最初期タイプの375で
シリアルナンバー373

このロゴは1955年のカタログでは
使われていない
オリジナルの線は細い。
50−4Cのバックチェンバーの天板は
ゴム質のパッキングシールされ、
米松の合板を3枚重ねた

補強材が取り付けられている
ウーファーを取り外して低音ホーンの
スロート部分を見る木材の接合部は
完全にシールされている
N500Hクロスオーバーネットワーク ーファーの高域はほとんど切らず
L(コイル)で6dB/octで非常に
高いほうだけ切っている
HFユニットは12dB/octで大体500Hz
ぐらいから低域をスパッと切っている
シリアルナンバー51209
Model 150−4C;シリアルナンバー412−758、 振動版後継:15inc、重量:11.3kg 
クロスオーバー:500Hz、インピーダンス:16Ω、最大出力:30W

15" low frequency driver;power rating:30 watts:free cone resonance:30cps
;impedance:16 ohms;originally designed for theatre use,
this unit can be used as low frequency driver in conjunction with
Models N500 and N55H dividing networks for systems crossing over at 500 cps
;deps 6"
Model 150-4C $114.00

この頃のロゴには
がありません
150−4Cは創設当時JBLがウェストレックスに納入していた業務用ウーファーT510Aの民生
ヴァージョン。130Aと共通のフレームにリング状のスペーサーを介して、K145の原型ともいう
べき頂角の深いコーン紙に対応させている。低音部はコーナー型の折り曲げホーンになっている

フロントロードでウーファーの後面からのプレッシャーは全く使っていない。
ウーファーは完全にクローズドチェンバーの中に収めている。
ホーン開口部面積は狭くオーディオ帯域の下の方をカバーするのは無理で
最低域はあきらめその上のオーバートーンをうまく再現して全体の音質を整えている
ネットワークをつける
Model 537−509 
Horn-rens assembly;for use with 375 high frenquency driver;provides wide horizontal
and narrow vertical diffusion in order to minimize ceiling and floor reflections;
horn dimensions 12" long,9"×6" rectangular mouth
;lens dimension 20"w×6
3/4"h×41/2d $66.00
537−509ホーン/レンズ

ハーツフィールド用に開発されたスラントプレートで音道の長さをスピーカーの中心部と周辺で変
化させて位相差をつけ、ホーンから平面波で出てきた波を、ハーツフィールドの場合は水平方向
に、ほぼ球形波に変える。さらにスラントプレートを波形に折り曲げて全長を短く抑えている。
4インチダイアフラムと非常に強力な磁器回路を持った375ドライバーでもクロスオーバー500Hz
でつかうには少し小さい537−509を強引にドライブするという形で、低域のクロスオーバーを
500Hzまで下げることに成功している。
これには537−509を、小さいながらもバッフルにマウントして使っているからである。
375ドライバーは高域は余り伸びていない。7KHzぐらいからダラ下がりでこれをスラントプレート
をつけて、その辺に少し共振を持たせ10KHzまで特性をフラットにしている。
その以上は急激にカットされる。
ホーンはバッフルを介して
取り付けられる
ターミナルは
WE594Aの残像
隙間が極小ですので慎重に
スライドさせて嵌める
木工技師のカットアンドトライの跡
アッテネーターの位置にぴったり
最後に底面のビスをしめる
 
ハーツフィールドはその後も、ユニット仕様とホーン設計の両面で発展を続けた。
 まず1959年に、低音ホーンが全くの再設計となった。その変更の要因は2つあった。
 まず構造が複雑な折り曲げホーンは、当然の帰結として、製造コストが高くついたこと。
 複雑になった理由のなかには、(D208)入門用キットを取り付けられるようにしたこともあった
 ようだ。後に入門用オプションを中止にしたことで、より一般的なホーン設計をできるようになった。
 2番目の要因は、クリプシュホーンに対抗すべく開発されたはずなのに、実際に比べてみると重
 低音の伸びが不足していたことである。これらの問題に対処すべく、バート・ロカンシーは設計の
 見直しに取り掛かった。そして、ウーファー背面のバックチャンバーをより広くするとともに、ホー
 ンの開口部を拡げて、ホーンの通り道をシンプルに改善したのである。
 この改良に結果、重低音は目覚しく改善されたが、今日まで続く論争に火をつけることにもなった。
 その論争とはどちらの低音ホーンが実際には全体から見たときベストなのかという疑問にかかわ
 るもので、どちらの陣営もその後、多くの賛同者を集めることになった。
 しかしコレクターの間では、最初の設計にほうが高い値段が付く傾向にある。
 そちらのほうがオリジナルのハーツフィールドだから言うのが主な理由である。
 最後の改良が加えられたのが1964年で、これは全く論争を呼ばなかった。
 ハーツフィールドが、(075)トィーターと(N7000)ネットワークが追加されて3Wayシステムへ
 と生まれ変わったのである。(N500H)ネットワークも新型の(N400)に変更された。
 (075)リングラジエーターは、市場での動向を考慮しそれに答える為に追加されたものだ。
 当時、多くのハーツフィールド・オーナーが、(375)の高域の再生限界に対処する為、(075)
 トィーターと(N7000)ネットワークを追加して、手持ちのシステムをカスタマイズしていたのである。
 JBLは単純に、この仕様をスタンダードにしただけであった。最晩年の変更は、(150−4C)が
 (LE15A)に置き換えられたことだ。JBLの社内テストで、ハーツフィールドに(LE15A)を収め
 てみると、歪が目に見えて少なくなることがわかったため、最後の1年の製造分は、(LE15A)
 がスタンダードのウーファーとなった。
 1964年に下った製造中止の決定は、ステレオ再生がモノーラル再生を押しのけて、
ついに録音フォーマットの中心となった結果であった。
 (別冊SS誌JBL60th Ann.より)
Westrex Receiver T-530-A
 第2次世界大戦終了直後、ウエスタンはE.R.P.D.を拡充し、ウエスタン・エレクトリック・エク
 スポート・コーポレーション(1945年にウエストレックスと名称変更)を通じ、シアター・サプライ
 市場に再参入、そこでほぼ独占的なシュアを獲得する。それに伴い当初は自社とジェンセン(ユ
 ニットのみ)、アルテック・ランシングに限られていたレシーヴァー・システムの製造元も、他メー
 カーへと拡大していった。そのうちJ.B.L.が担当したシステムは主としてT−501−AとT−
 502−Bの2種類で、中・高域レシーヴァーにはT−530−A(ヴォイスコイル径は4インチ[正
 確には3.9375インチ=10cm}で、『594ーA』と互換性はない)を搭載した(これが同社のフラ
 グシップ・モデルとなる『375』の原型)。組み合わされるホーンはいずれもアコースティック・レ
 ンズ付で、T−550−A(水平カヴァレッジ・アングル50°)。後に民生用で537−500として有
 名になる)とT−551−A(同80°)などが使用された。 
Westrex Receiver T-510-A
 
1941年、アルテック・サーヴィス社に技術担当副社長として入社したジェームス・B・ランシング
 (同時に社名をアルテック・ランシングに改めた)は、1946年に同社を辞し、積年の夢であった
 家庭用システムの開発を目指してJ.B.L.サウンド社を設立した。 その後’50年代に入り、
 ウェストレック社からの依頼でつくったのが、T−501ーAとT−502−Bフロントロード・ホーン
 ・ステージ用システムで、前者に2本、後者に4本の『T−510−A』低域用レシーヴァーが使わ
 れている。 このユニットは4インチ(10.6cm)のヴォイスコイル(インピーダンスは32Ω)を持ち、
 従来の同社の低域ユニットのバスケット(フレーム)が頂角の浅いものだったため、外周部にス
 ペーサーを入れ、業務用にふさわしい深い頂角のコーン紙を採用、高いスタッフネスを獲得した
 製品である。加えて、磁気回路は強力そのもののため、ホーンロード型のエンクロジャー以外で
 は本領を発揮しにくいと思われる。本気のハンドルを廃しト塗色を変えて民生用の展開を図った
 のがJ.B.L.150−4Cであり、ヘヴィーデューティー仕様ウーファーとしてD30085(ハーツ
 フィールヅ)やD44000(パラゴン)に搭載され、同社の代表作となった。
   (SS BOOKSより) 
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